いつも見ていた広島
私は残念ながら見逃してしまいましたが、秀樹さんが亡くなる1週間前の5月9日に放送された「マツコ&有吉 かりそめ天国」で広島出身ミュージシャン売上枚数ランキングというのをやっていて、秀樹さんがぶっちぎりの1位だったとか。
(拾った画像ですみません。。。)
2位以下も、ポルノグラフィティ、T-BOLAN、矢沢永吉、吉川晃司、CHEMISTRY、奥田民生、浜田省吾、世良公則&ツイスト、吉田拓郎…という錚々たる顔ぶれ。広島は、まさに「音楽大国」ですね。音楽といえば福岡と言われるし、確かにそうかもしれないんだけど…なんか、広島の方が街に音楽が根付いているというか、そんな風土がある感じがするんですよ。これは私の個人的な感覚でしかないんだけど。音楽イベントとかでも、福岡にない“熱さ”みたいなものを感じます。
広島の匂いというか、雰囲気が大好きなんですよね。今でも年に1、2度は広島に行っていて、もし福岡以外で住むなら絶対広島!って思っちゃう。
ま、単に私が広島びいきってことなんですけど。広島出身ってことだけで、魅力が2割は増しになっちゃう。吉川も、世良さんも、民生も大好きだー!
私が広島びいきになった大きな理由は、もちろん秀樹さん。でも、もう一つの要因は、間違いなく吉田拓郎さんなんです。
小学校高学年の頃に拓郎さんを知って、すぐに「結婚しようよ」が大ヒット。ちょうど秀樹さんを好きになったのと同じ頃ですね。福岡だし、周りは陽水さん派が多かったけど、私は絶対に拓郎さん派でした。 ←小学生のくせに…(^。^)
秀樹さんと拓郎さんといえば、やはり42枚目のシングル「聖・少女」。
秀樹さんの公式HPのMUSIC欄には
同県人の吉田拓郎とはデビュー前に面識がある。広島でHIDEKIがザ・ベガーズというバンドを組んでいた時にアマチュアバンドのコンテストで会っている。小学生のドラマーに驚かされたそうだ。
なんて書いてあるけど、田家秀樹さんの「小説 吉田拓郎 いつも見ていた広島 ダウンタウンズ物語」にキモトタツオくんが登場していると聞いて、アマゾンで取り寄せて早速読んでみました。
広島フォーク村以前の拓郎さんのことはほとんど知らなかったので、とても興味深く読めました。それと、音楽が広島に根付いたその礎を築いたのは間違いなく拓郎さんだったんだと再認識ができて。拓郎さんには、人を惹きつけてやまない天性のスター性が備わっていたんですね。
そして、そんな拓郎さんに「確実に時代は変わっている」と思わせた12歳の小学生こそ、木本龍雄くんだったとは。
ダウンタウンズは広島市内のアマチュアバンドたちの憧れだったそうで、その練習の様子を見に来た子どもたち。その先頭を切って入って来た男の子に「ちょっと歌ってみいや」と促したところ、小学生とは思えない流暢な英語でストーンズのサティスファクションを歌ったのだとか。
龍雄少年、おそるべし。
拓郎さんがいなければ西城秀樹は存在しなかった…なんてことはないんだけど、秀樹さんだけでなく広島の人たちに、拓郎さんたちが築いてきたものが影響を与え、脈々と受け継がれていることは確か。
なんか、感動します。
今日は久しぶりによしだたくろうを聴いてみようかな。